読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

文字では腹は膨れない

でも栄養にはなるのです

パズドラマルチでホーチミンに飛ばされた件

パズドラ面白いですよね。

アンドロイド版がリリースされてすぐインストールして、

通算ログインは1600日ぐらいまで来ました。

それなりに昔からやってます。

闇4倍、エンドラが流行ってたのが懐かしいです。

 

で、社会人になってからはそこまでやり込めてなかったのですが、

少し前に実装された3人マルチが楽しくて、隙間時間で楽しんでました。

つい先日も、いつものようにマルチの募集をかけて、マッチングして、

協力してダンジョンを進んでいたところ、突如様子がおかしくなりました。

 

まあ簡単に伝えるのであれば、

f:id:ebangelist:20170424234708j:plain

こうなりましたと。

なんとびっくり-15000フロア。

まさに奈落の底と言っても過言ではない。

いきなりこの画面になったわけではなく、この直前までは一緒に突き落とされたマルチメンバーがいました。

ただ、挙動がおかしくなり、あーあめんどくさいから一旦通信切ろう、

ということでマルチを切断した結果、これ。

見事に奈落に取り残されたわけである。

 

この奈落、なんと自動這い上がりシステムが導入されていて、

 こんな感じで自動でフロア進んでくれるんですよ。

すごくないですか?

奈落に落ちる代わりに全自動パズドラを手に入れたんです。

 

とか言ってられるのも少しの間でした。

まあ、全自動だし、せっかくのバグだし、ゼロフロアまで登りきるか〜〜〜

とかのんきに思ってたら、アプリが落ちるようになっちゃったんですよね。

最初は起動していてもフロアが進むだけでなんの問題もなかったところから、

10数秒するとアプリが落ちるようになり、だんだん持続時間が短くなり、

もう今では1秒も持ちません。

全自動パズドラも、起動できないと進めないんですよね。

完全に詰みでした。

 

奈落の無限回廊から這い上がった勇者になりたかったんですけど、

そう甘くはなかったですね。

うーん手厳しい。

さすが天下のパズドラだ。

 

と、思いながら昨日は寝ました。

 

今朝起きて、

うーん、アンインストールするしかないけど、バックアップとってたっけなあ……

とかいろいろ考えながら平日なので普通に出勤して、仕事に取りかかりました。

仕事の合間にトイレで一息ついていた時、ふと気付いたんですよね。

 

あれ?

 

何かがおかしいな?

 

f:id:ebangelist:20170424235656j:plain

 

Ho Chiminh。

ホーチミン

 

位置情報に連動して天気を表示してくれる便利なガジェットなんですけど、

なんですけど、

ホーチミンなんですよ。

スクショ自体はさっき撮ったので、さっきの時間になってるんですが、

天気表示してるガジェットの右下の時刻が、最終更新時間ですね。

 

六本木にいたはずの午後2時。

僕のスマホホーチミンにいました。

 

最初は、ああ表示がおかしいな、更新しよう、

と思って右下の更新ボタンを連打したのですが、

ホーチミン

更新。

ホーチミン

更新。

ホーチミン

 

僕は悟りました。

これってきっと、僕のスマホはもうホーチミンに行ってしまったってことだと思うんですよ。

 

原因ってなんだろうなと思って、いろいろ考えるんですけど、

ぱっと思いつくのは一つしかないじゃないですか。

奈落の底は、ホーチミンだったわけですよね。

 

納得しました。

ああ、そうか。

パズドラの底にはホーチミンがあるんだ!

と。

自分でも何言ってるのか全くわかりません。

 

ただ、一つ言えるのは、パズドラは国境を超える、ということですかね。

ホーチミン万歳。

 

※最後に真面目な話

このバグ、3人マルチではたまに発生するようです。

マルチ相手にチーターが含まれていると発生することがある、とのこと。

といっても防ぎようがないですよね。

ちょっとでも挙動がおかしかったら、通信を切断することをオススメします。

まあ、もしダメだったとしてもホーチミンに行くだけですよ。

ウェルカムホーチミン

「から紅の恋歌」の感想のつもりが、変換システムとの戦いになりました。

コナンの新作を見た。一人で。

新作は京都が舞台だったこともあり、過去のコナンの映画の中で一番好きな、迷宮の十字路を思い出して思わず観に行ってみた。

 

今、これ書いていてびっくりしたのが、

何の気なしに「めいきゅうのくろすろーど」と打って変換したら、

そのまま「迷宮の十字路」に変換された。

試しに「べいかーすとりーとのぼうれい」も変換してみたら、

「ベイカー街の亡霊」に変換された。

「くろすろーど」「すとりーと」単体ではもちろん「十字路」「街」には変換されない。

これが国民的アニメの力か。

 

新作の感想を書くつもりだったけど、

こっちのほうが気になったから、過去のコナンの映画全部試してみようと思う。

 

 

古い順に、当て読みが含まれている作品を試していきます。

当て読みが含まれていない作品は省略。

 

1998年「14番目の標的

「14ばんめのたーげっと」→「14番目のターゲット」

うーん、残念。

何でもかんでも対応しているというわけではないのか?

2002年「ベイカー街の亡霊」

「べいかーすとりーとのぼうれい」→「ベイカー街の亡霊」

前述の通り、変換対応。

 

2003年「迷宮の十字路」

「めいきゅうのくろすろーど」→「迷宮の十字路」

これも前述の通り。

一番好きな作品。 

 

2004年「銀翼の奇術師」

「ぎんよくのまじしゃん」→「銀翼のマジシャン」

これも残念。

公開年度が基準かと思っていたが、そういうわけでもなさそう?

ちなみに割と好きな作品。

 

2005年「水平線上の陰謀」

「すいへいせんじょうのすとらてじー」→「水平線上のストラテジー」

うーん、残念か。

 

2006年「探偵たちの鎮魂歌」

「たんていたちのれくいえむ」→「探偵たちのレクイエム」

これもダメかー。

 

2007年「紺碧の棺」

「こんぺきのじょりーろじゃー」→「紺碧のジョリーロジャー」

今までのが無理だった時点で、まあこれは流石に無理だろうなと思ってた。

当て読みの中でも結構特殊な事例だしね。

 

2008年「戦慄の楽譜

「せんりつのふるすこあ」→「戦慄の古スコア」

なんか古くなったね。

これはこれで謎めいてる感じあるけど、古スコアって表現、ダサい。

 

2009年「漆黒の追跡者」

「しっこくのちぇいさー」→「漆黒のチェイサー」

これも無理。

行けそうな気もしてたんだけどなあ。

 

2010年「天空の難破船

「てんくうのろすとしっぷ」→「天空の難破船

まさかの。

これいけるのかよ。

今までとの違いはなんなんだよ。

 

2011年「沈黙の15分

「ちんもくのくぉーたー」→「沈黙の15分

これも行けた。

難破船に引き続き、行けそうにない奴が行けた。

基準がわからなくなってきた。

 

2013年「絶海の探偵」

「ぜっかいのぷらいべーとあい」→「絶海のプライベート愛」

まあこれも仕方ない系のやつだよね。

まあでもプライベート愛になってしまうと、

一気にタイタニック感が増す。

 

2014年「異次元の狙撃手」

「いじげんのすないぱー」→「異次元のスナイパー」

これも無理かー。

もうよくわかんねえなこれ。

 

2016年「純黒の悪夢

「じゅんこくのないとめあ」→「殉国のナイトメア」

もはやね。

一気に国を巻き込んだ壮大な話になったね。

これはこれでなんかの映画のタイトルにありそう。

 

2017年「から紅の恋歌

「からくれないのらぶれたー」→「から紅のラブレター」

こないだ公開だし流石に仕方ないでしょう。

これが変換できたら流石にびっくりしてた。

 

 

ということで、過去作振り返りの結果、

「ベイカー街の亡霊」

「迷宮の十字路」

天空の難破船

沈黙の15分

macの初期設定の状態で変換対応されているタイトルでしたと。

 

特定の期間でもなければ、興行収入でもなく、

基準が本当にわからない。

何が基準なんだろなあ。

 

コナンや、映画に限らず、いろんなものを試してみると、

変換のアルゴリズムが見えてくるのかもしれないけど、

ちょっと途方も無いので誰か知ってる人いたら教えてください。

 

収拾のつかない記事になってしまいました。

思いついたことを思いのまま書きなぐったらこんな結果に……

失礼いたしました。

ペン回しの地位を上げる大作戦

おい、授業中にペンを回すな!

今まで幾度となく言われてきた気がするこのワード。

確かに落とすとうるさいし、目障りだし、仕方ないことだとは思う。

今の世の中ではそれが事実だから。

 

もし仮に、ペン回しの評判がもっとよくなれば授業中に回しても怒られなくなるのだろうか。

だとした場合、ペン回しの評判ってどうやって良くするのだろうか。

 

 

①直接的に評判を良くする方法

②間接的に評判を良くする方法

という2つのアプローチがあると思うので、ちょっと考えてみたい。

 

①直接的に評判を良くする方法

考えるまでもなく、もう本当に文字通りとしか言いようがない。

本気でペン回して、メディアに取り上げてもらうとか、パフォーマーとして活躍するとか。

ペン回し自体を主体として露出させていって、すごい、かっこいい、から評判を良くするアプローチ。

今までも何度かペン回しがメディアに取り上げられることはあったし、最近ではパフォーマーのような存在も出てきている。

Youtuberもいるぐらいだ。

直接イメージアップに繋がるのだが、いまいち確実性にかける部分がある。

というのと、あくまでペン回しとしての評判が良くなるだけ、という部分がある。

何を言っているのか意味がわからないと思うが、②を読んでもらえれば何となく理解できるのではないかと思う。

 

②間接的に評判を良くする方法

ペン回し自体を押し出して行くのではなく、あくまで間接的にアピールしていく方法。

①がペン回し自体をアピールする方法だとしたら、

②はペン回しをする人をメインにアピールする方法だ。

 

すごく極端な例えをすると、

 

かの有名なスティーブ・ジョブズ

とあるインタビューで彼はこう答えた。

「どのような時に革新的なアイディアを思いつくのですか?」

「うーん、ペンを回している時が多いかな」

 

これだけで、ペン回しの地位は向上するはずだ。

つまり、認められるペン回しをするのではなく、

認められる人になってからペンを回すということだ。

これなら割と可能性があるのではないかと思う。

 

ジョブズほどの偉人にならずとも、

尊敬できる先輩が集中できる秘訣はペン回しだと言っていた。

優秀な同期が、仕事のストレスはペン回しで解消していると言っていた。

そんな些細な関係でも、ああ、あの人が言うならペン回しってそういう効果もあるのかもな、と思わせることは出来る。

 

①のようなスーパースターをみんなが目指すのは現実的ではない。

ただ②であれば、今自分の目の前にあること、学業でも部活でも仕事でも、それに全力を注ぎ成果を上げさえすればいい。

自分の地位も上がり、ペン回しのイメージも上がる。

一石二鳥である。

 

 

だらだらと書いてしまったが言いたいことをまとめると、

 

目の前のことに全力で取り組んで、認められる人になり、ペン回しを認めさせよう。

 

ということだ。

 

一人一人が、色々な持ち場で少しずつペン回しを認めさせていってくれれば、

いずれきっとペン回しが認められる社会になるのではないかと思う。

 

別にこれはペン回しに限った話ではない。

ゲームをすること、アニメを見ること、その他諸々。

世間的にはあまりいいイメージを持たれていないものは数多くある。

それのイメージを払拭するためにはやはり、それに取り組む自分自身を認めさせるのが一番だと思う。

あまりやる気の出ない勉強や仕事でも、自分の大好きな趣味を認めてもらうためだと思ったら少しはやる気が出るのではないだろうか。

 

そうやって好きなものを好きでいていい世の中にするために、目の前のことを頑張っていきたい。

 

夜中のノリで読み返すこともなく書きなぐった文章なので、

文章破綻してたらごめんなさーい。

ペン回しが教えてくれたこと②

「一見意味のないものでも、突き詰めていけば意味のあるものになるんです。」

とある人の言葉であるが、僕もこの言葉をどこか胸の片隅に置き、一見意味のないものを突き詰めていった。

その結果、それは確かに僕の人生に置いて大きな意味のあるものになった。

--------------------------------------------------------------------------------------

ペン回しを初めてから数年。

有名になりたいという想いが先行するあまり、

基礎を疎かにして、目先の物珍しさに走ってしまった僕。

その結果、確かに少しの名声を得ることは出来た。

ただそれは本当に一瞬で、すぐに化けの皮が剥がれてしまった。

そこから基礎、土台の重要さに改めて気付き、一から自分を見直すことにした。

 

その時自分の武器としていた静止技は捨て、自分の技術を確認してみた。

すると驚き、全然技ができない。

それもそのはずで、最初の数年間を技を覚えるよりも、

目新しさに費やしてしまった結果、出来る技のバリエーションは驚くほど少なかった。

それなりに重いペンを使っていたにも関わらず、貧相なものだった。

ここからどうするか、一つの選択肢に迫られた。

①出来る技のバリエーションを増やす努力をする。

②今できる数少ない技のクオリティを上げる。

色々な迷いはあったが、最終的に選んだ道は②のクオリティを上げる道。

今振り返ってみると、バリエーションを増やす道も間違いではなかったと思う。

だが、その当時考えていたのは、

いろんな技をレベル70で使えるやつは山ほどいる。

それなのであれば、少ない技であってもレベル100で扱えたほうが、

戦って行く力になるのではないかということ。

そういう決断もあり、ひとまず出来る技を精一杯こなすことにした。

ただ、本当に出来る技が少なかったため、それだけではどうしようもなかった。

だからこそきっちりと技をこなす中に、少しだけ珍しい動きをすることを心がけた。

このタイミングが一つ、大きな変化のタイミングだったと思う。

 

しばらくその方針で続けて行くと確かに手応えがあった。

地道にではあるが評価もされるようになってきたし、

色々なところから声もかかるようになってきた。

こういった表現が適切なのかはわからないが、

中の上ぐらいのポジションまではたどり着くことが出来たと思う。

ただ、漠然と、ここから上にはいけないのではないかという疑念があった。

確かに上手くはなったかもしれないが、本当のトップ層にまでたどり着くことは出来ないのではないかと。

その疑念は正解で、予想通り、僕は打ち止めとなってしまった。

それなりに成功していた部類ではあったし、それなりの知名度も得ることが出来た。

しかし、モヤモヤが残っていた。

なんでここから上に行けないのか、新しく出てくる人たちに抜かれて行くのか。

考えに考えた結果、出た答えは、

「あの時自分が選んだスタイルは、本当に自分に合っているスタイルではなかった」

ということ。

 

少し哲学チックな話になってしまうが、

僕は人類皆誰も何かしらの才能があると思っている。

それが、ペンを回すことなのか、野球をすることなのか、

はたまた数学の勉強なのか、対象が何なのかは人それぞれだが、

何かしら皆才能を持っている。

その当時の僕はそこまでの粒度でしか考えられていなかった。

僕には人よりもペン回しの才能があったから、ペン回しにハマったし、

上達することが出来たのだろう、そう思っていた。

 

ただ、それだけでは認識が浅く、才能はもっと細かな粒度で割り振られている。

野球の中にも、ピッチャー、キャッチャーなど様々なポジションがあるだけでなく、

細かな動作まで分解すると、バッティング、バント、盗塁、キャッチング、

本当に無数の項目に分けられる。

バントは抜群に上手いが、キャッチングは苦手な人。

盗塁は苦手だが、バッティングはずば抜けている人。

人によって得手不得手は様々で、時にそれは強みや個性とも呼ばれるが、

才能はその粒度で細かに、人類に割り振られている。

そのことをペン回しを通じて改めて感じた。

自分に割り振られていた才能は、ただ単にペン回しというだけでなく、

その先のもっと細かい部分にあるのだと。

 

それを改めて認識した時、自分の才能はどこにあるのだろうかと模索し始めた。

今までに自分が撮影してきた動画、他の人たちの動画、

自分が評価されいるポイント、他の人が評価されているポイント、

様々な情報を振り返って分析して、自分の才能がどこにあるのかを探った。

その結果どうやら、自分は技の完成度に秀でているのだと気付いた。

そこからはもう、その方向に全てを注いだ。

自分の才能がわかればそれを最大限伸ばすのみ。

弱みを克服したい、という人もいるかもしれないが、

それはあくまでマイナスをゼロに近づけて行くだけ。

プラスを生むことはない。

なのであれば、現時点でプラスを生んでいる才能を最大限伸ばしきり、

全てを補って余りあるプラスを創出するほうが自分としても楽しい。

 

才能というと大げさなものに聞こえるが、

人より何かが出来る、人よりこれが優れている、というのは、

それだけで十分な才能だと思う。

強み、個性という表現の仕方もあるが、才能と言ったほうが、

自分の能力を愛すことが出来るし、自身も出ると思う。

 

少し脱線してしまったが、こうして自分のあるべきスタイルを見つけ、

他のものは捨て、そこを伸ばすことだけに徹した結果、

自分で言うのは気が引けるが、頂点近いところまで登ることが出来た。

中の上まで辿り着いた時、頂点まで辿り着いた時、

その違いは、自分の作品に含まれる才能の純度だと思う。

前者の場合でも自分の才能である、完成度の部分は自然と盛り込まれていた。

ただ、自分には才能のない要素、言ってしまえば不純物が紛れてしまっていた。

その不純物を排し、徹底的に才能の純度を上げる努力をした結果、

上に登り詰めることが出来た。

10年弱と言う長い時間を要してしまったが、何かの物事をここまで極めた経験はペン回し以外にないし、

こうした物事に対する考え方を養うことが出来ただけでも、価値があったと思う。

 

自分の中に秘められた才能を見つけ出し、

才能を磨き上げ、純度を高めていったその先に、

成功があるのではないかと思う。

才能の分布、大小は人によって様々だが、

絶対に何かしらの才能を人は持っている。

普通の人ならやらないようなペン回しに興味を持って続けている時点で、

ペン回しという領域の中に何かしらの才能があるはずだ。

 

「いまでしょ」で有名な某予備校講師も言っていたが、

自分が勝てると思える領域で努力するのが成功の秘訣。

がむしゃらに努力することを正とする風潮もあるが、

時間は有限なのだから、どこに時間をかけるのか、何を捨てるのか、

自分の才能を見いだすことで決断していって欲しい。

 

これからの人生も、自分の才能を信じていろんなことに取り組んでいきたい。

 

「才能の限界はまだ先」 ーMintjam (2005), Rivalー

ペン回しが教えてくれたこと①

「一見意味のないものでも、突き詰めていけば意味のあるものになるんです。」

とある人の言葉であるが、僕もこの言葉をどこか胸の片隅に置き、一見意味のないものを突き詰めていった。

その結果、それは確かに僕の人生に置いて大きな意味のあるものになった。

--------------------------------------------------------------------------------------

僕とペン回しとの出会いは中学1年の頃に遡る。

「この動画やばくね?」

当時の中学生はまだ携帯電話なんて持っておらず、連絡手段といえばPCのメールしかなかったそんな時代。

当時の友人から一斉送信で届いた1通のメール。

僕のペン回し人生の始まりだった。

その時そのメールに添付されていたのは界隈では有名な「JapEn 1st」。

本当にいろんな意味で衝撃を受けた。

少なくとも自分の知っているペン回しではなかった。

指ってこんなに動くのか、こんなに操れるのか、なんでこいつらはペン回しなんて意味のないものを極めているのか。

意味は分からなかったが、なぜか無性に惹かれてしまった。

それは当時仲の良かった友人たちも同じだったようで、仲良し4人組でペン回しを始めることとなった。

それからというもの、みんなで動画を見漁ったり、休み時間には集まって練習をしたり、

回しやすいペンを探し求めて文房具屋巡りをしたり。

各々、勉強も部活もある中だったが、ワイワイと楽しんでいた。

そんな奴らがいると当然、その様子は波及し、数ヶ月経った頃、学年全体でペン回しが流行ってきた。

授業中、あちこちから聞こえる、ガチャッというペンが落ちる音。

授業そっちのけで手元に集中している人。

学年全体に悪いブームを巻き起こしてしまったのは明らかだった。

ただ、後悔はしていない。

人は皆、何かしらの才能を持っているものだ。

もしかしたら周りの彼らの中にもペン回しの天賦の才を持った人がいるかもしれない。

周りの彼らが少しでもペン回しを齧って見てくれたことは、その才能を埋没させずに済んだ、ということで喜ばしいことだと思う。

その機会が授業中であることが適切なのかということは目を瞑りたい。

 

それから時は過ぎ、クラス替えを経て中学2年、3年と進んでいくにつれ、

最初に始めた仲間たちはペン回しを辞めていき、最終的に僕一人になった。

ただ、もうその時には、ペン回しの魅力に完全に取り憑かれており、

たとえ一人であろうが、辞める気は毛頭なかったし、どうすれば早く有名になれるのかばかり考えていた。

 

この頃、技術を磨いて上手くなることよりも、有名になることの方に意識が完全に向いていた。

早く有名になりたい。

早くあの人たちと同じ土俵に立ちたい。

そういった想いが溢れた結果僕のとった行動は、

誰もやっていない分野のことをやる、

というものだった。

小技が上手い人はこの人、あの人、大技が上手い人はその人、のように、

どの分野にも高い技術力を持った先人達がいたその時代。

正当なルートで戦いを挑んでいてはいつ成り上がれるのか分からない、

それなら自分で分野を作ってしまえばいい、という選択だった。

ただ、それはコツコツ努力するということを避けた逃げの選択だった。

僕が開拓を試みた分野は、誰も繋げないような技を繋げたり、

誰もが思いつかないようなことをする、一言でまとめると「奇抜」だった。

中でも最も多用していたのは、ペンを止める、という行為。

いかに美しく回すかが基本のペン回し。

その中で敢えてペンを静止させるタイミングがあったら面白いのではないか。

という安直な理由で静止技を自らのスタイルに取り入れていった。

その結果として、確かに少し知名度は上がった。

確かに上がったのだが、そこで打ち止めになってしまった。

そのベースとなる基礎力が足りなかったのだ。

静止技はウケたし、あいつ、面白いことしてるじゃん、という評価を得ることが出来た。

しかし、大衆を満足させ続けられるだけのバリエーションを生み出すことが出来なかった。

基礎を疎かにして目先の栄誉に飛びついた結果、得られた栄誉に対して自分の実力が足りなさ過ぎたのだ。

そこからは当然飽きられていく。

いつも同じような動画。

こいつまた静止技か、いい加減飽きたな。

だんだんと飽きられていった。

匿名の掲示板などでの自分の評価を目にした時、自分の愚かさに気付いた。

ああ、楽をして名声を手にするなんて無理なんだなと。

基礎の鍛錬、地道な努力があってこそのものなんだなと。

 

数学の公式はとても便利なものだが、

その公式がどのように導かれたものなのか、

どういう定理を利用して成り立っているものなのか、

基礎の部分の理解が出来ていないと少し形が変わっただけで応用できなくなってしまう。

 

卓球のサーブも、今までに見たことのないような変則サーブを生み出せば、

最初のうちは点が取れるかもしれない。

ただ、基礎としての技術がない状態では、それが打ち破られた瞬間、為す術無しである。

 

先人の考えた便利なものを享受する、

思いついた目新しいことをやってみる、

瞬間的に見れば有効な手段であることは間違いない。

ただ、何の考えもなしに思考停止でその行動をとると、どこかで必ず打ち止めが来る。

勝ち続けたいのなら、成功し続けたいのなら、

まずは自分のコアとなる基礎をきちんと固めなければならない。

コアがあってこそ、それは生きてくる。

コアのないままそれを続けていると、先人の後ろを追いかけるだけでいつまでたっても最前線には立てない。

瞬間的な活躍はするかもしれないが、一発屋で終わってしまう。

真に上に行きたいのであれば、一見遠回りかもしれないが、

地道に基礎を固めることが最も近道なのだろうと僕は思う。

 

下手くそながらそこに気付き、

基礎を磨き直した結果、自分が最も活躍できるスタイルが見えてきました。

それは当初目指していた奇抜なスタイルではありませんでした。

その過程でも色々と学ぶことがあったのですが、

これに関してはまた次回。

就活生はポケモンなんだという話

就職活動も本格化してくるこのタイミング。

学生として、採用担当として、両面から就活を経験した身として、

みんなの就活がいい形で終えられればなと思い色々と書きなぐってみました。

 

就職活動。

数多ある企業の中から自分の行きたい企業を探し出し、

エントリーシート、面接といった様々な関門をくぐり抜け、

どうにかこうにか内定を勝ち取る熾烈な争い。

就活において、学生は得てして自分の視点のみに捉われがちだ。

だから、いかに自分が他の学生より優れているかを示そうとする。

企業にとって、「どこが」優秀であれば採用したいのか、

それを考えることなく、

「よし、この隣のやつよりは俺の方がTOEICの点が高いぞ」

「よし、俺の方が学生時代の実績も上だ」

という自己中心的な比較を行ってしまう。

その結果、こいつよりは上だな、と見下していたやつに平気で負ける。

それもそのはず、企業が見ている優秀さは君が見ている部分の優秀さじゃなかったのだ。

こういった就活をしていては、自分のあるべき姿を見失ってしまうし、

本当の自分を求めてくれる企業にたどり着くことはできない。

当然だが企業にも企業の考えがきちんと存在する。

どんな優秀さであれ、優秀であれば誰でもOK、というわけではないのだ。 

 

企業がなぜ新卒採用を実施しているのか。

単純に優秀な人材が欲しいから、それも間違いではないが浅い。

その企業にとってどういう学生が優秀で、採用したい人材なのか。

その企業はこの先どういった方向に進んで行こうとしており、

そのためにはどういった人材を採らなければならないと考えているのだろうか。

どの企業も、新卒採用の計画は、経営戦略からブレイクダウンして考えている。

数年後にはこの企業はこういう姿を目指したい、だからこのタイミングでとる新卒はこういった人であって欲しいというペルソナを立てた上で採用を進めて行く。

わかりやすくするためにポケモンに例えてみよう。

 

企業をポケモントレーナー、就活生をポケモンとおいてみる。

そうするとだいぶわかりやすくなる。

ポケモントレーナーはみな何かしらの目標を持っている。

ジムリーダーを倒すことかもしれないし、

四天王のチャンピオンを倒すことかもしれない。

マグマ団を壊滅させることかもしれない。

そんなポケモントレーナーたち。

でもトレーナーは自分では戦えない。

だからポケモンという仲間の力を借り、自らの夢を実現させるために共に奮闘する。

時には道具を使い、弱ったらポケモンセンターに連れて行き、

6体という限られた仲間たちを大事に育てながら戦って行くのだ。

就活はそのポケモンの厳選だ。

四天王のチャンピオンを倒すのはどんなポケモンたちが必要なのか、

ジムリーダーを倒すには?

マグマ団を壊滅させるには?

自分の目的を達成するためにはどんなポケモンを手持ちに加えればいいのか知恵を振り絞りながら、ポケモンの選定をする。

トレーナーは目的達成のためにどういったポケモンが必要なのかを把握している。

つまり、どれだけ強いポケモンでも、求めるポケモン像とずれている場合、ゲットされることはない。

考えてみてほしい。

電気タイプのジムに臨む時に水タイプのポケモンを連れて行くだろうか。

四天王に臨む時に、パーティーを全て同じタイプで固めるだろうか。

電気タイプのジムに行くときは、じめんタイプを集めるだろうし、

四天王に挑むときは様々なタイプに対応できるようにバランスのいいパーティー構成にするだろう。

このように、トレーナーがどんな目的を掲げていて、どんなパーティーを作りたいのかを想像することが、

より良い、自分に適したトレーナーの仲間になる上では必要不可欠である。

トレーナーが素早さの高いポケモンを求めているところに、防御力の高さを推していっても仕方がない。

とはいえ、ポケモンはそれぞれタイプが決まって入るし、個体値というパラメータもそれぞれ違う。

じめんタイプのポケモンは飛行タイプになることはできないし、

素早さが低いポケモンは、どこまでレベルを上げても相対的に素早さは低いままである。

私はそれはそれでいいと思う。

それこそが個性なのだ。

素早さの低いポケモンも、他のポケモンには負けない他の能力を持っていたり、

じめんタイプのポケモンも、飛行タイプには使えない技をたくさん使える。

みんな違ってみんないいのだ。

そう、みんな違ってみんないい。

だからこそ、自分のことをいいと思ってくれるトレーナーに見つけてもらうことが大事なのだ。

イケメンなトレーナーでも、

美人なトレーナーでも、

お金持ちなトレーナーでも、

有名なトレーナーでもない。

自分と同じ夢を持ち、夢を叶えるために自分のことを必要としてくれる、そんなトレーナーこそが、

君というポケモンに最も適したトレーナーなのだ。

そのトレーナーは優秀ではないかもしれないが、同じ志を持ち、自分を必要としてくれる、自分に期待してくれる、

そんなトレーナーのもとで戦うのは苦しい場面もあるかもしれないが、すごくやりがいがある。

是非、自分に最も適したトレーナーのもとに辿り着いて欲しい。

 

それは簡単なことではない。

トレーナーが何を目標としているのか、どんなポケモンを欲しているのか。

調べられる情報だけでは分からない部分が大いにある。

調べて分からなければ聞けばいい。

そのトレーナーに聞けば良い。

そのトレーナーのポケモンに聞けば良い。

自分のパートナーを決める、という一大イベントなのだ。

どれだけ時間を費やしても無駄にはならない。

 

ただ、それ以上に自分は何タイプのポケモンなのか、どのパラメータが高いのか、

どんな戦い方をすべきポケモンなのか、そこを自分でも把握できていないポケモンが多い。

野生のポケモンを思い出して欲しい。

レベルはそこそこ高いのに意味不明な技構成のポケモンがいなかっただろうか。

自分が何者なのか、自分が何をしたいのか、自分は何タイプなのか、

そういった、自分のことを正確に把握できていない限りは、いくらトレーナーの情報を把握したところで、

自分に最もマッチするトレーナーを選ぶことなどできない。

 

一度きりの自分の人生なのだから、面倒だなんて思わず、

一度ぐらい本気で自分のことを考え抜いて見ると良いと思う。

 

長々と書いてきたが、まとめると、

・企業のブランドなどに踊らされず、本質的な部分の情報を知りに行く。

・自分自身のことにきちんと時間をとって向き合い、自分が何者なのか、何がしたいのか、何が出来るのかを改めて考え直す。

この2点を本気でやれば、最終的に納得のいく形で就活を終えることが出来ると思っている。

決して、誰もが知っている大企業の内定を勝ち取れる、とかそういった話ではない。

その会社が何をしている企業なのか、どのぐらいの規模なのか、それは人それぞれだと思うが、

自分に最も適した企業にたどり着くことが出来るだろうという意味での、納得いく形、だ。

 

自分は何タイプのポケモンで、どのパラメータが強みなのか。

ミュウツーにはミュウツーなりの、コラッタにはコラッタなりの、就活の仕方がある。

まずは自分が何者なのか見極めて、自分と志を同じくするトレーナーを見つけ出して欲しい。

「高価」と「高級」

人に贈り物をする時、ひたすらに思惑を巡らせ、プレゼントを選定すると思う。

僕がそのチョイスの際に心がけていることが一つだけある。

それは、

「高価」ではなく「高級」なものを選ぶということ。

 

どういうことか簡単に例を挙げて説明してみようと思う。

 

さて、来週は昔から仲良くしている友人の誕生日。

自分の誕生日にもプレゼントをくれたし、もちろん僕からも贈りたいと思う。

僕の彼の間柄からして、予算は1万円ぐらいかな。

さて、何を買おうか。

うーん、これにしよう!

 

①1万円の財布をプレゼントした場合

僕「いつもありがとう、これ誕生日プレゼント!」

彼「おお!ありがとう!ちょうど財布欲しかったんだ!大事に使うよ!」

彼(普通の財布だな。せっかくプレゼントしてくれたし大事に使おう。)

翌年。

彼のカバンには僕がプレゼントしたものとは違う財布が。

「ごめんな、大事に使ってたんだけどちょっとくたびれちゃって。」

それはそうだろう。

財布というジャンルで1万円という額は決して一級品のクオリティが得られる額ではない。

その分、早く商品の寿命がくるというのはわかりきったことである。

僕も彼も、まあそんなものだという想いのもと、プレゼントを交換し続ける。

 

②1万円のボールペンをプレゼントした場合

僕「いつもありがとう、これ誕生日プレゼント!」

彼「おお!ありがとう!これボールペンか?すごく高級そうだな…大事に使うよ!」

彼(文具とか詳しくないけど、上等なものだということは伝わってくるな。とりあえず使ってみよう。)

翌年。

スーツを着た彼の胸元には、キラリと光る見覚えのあるボールペン。

その翌年も、そのまた翌年も。

どのジャンルの商品でも、高級品は得てして長持ちするものである。

超一級品ともなれば一生モノの買い物となることも多い。

そして、多くの人は自分が強く関心のある分野以外のモノに対して、

必要以上のお金をかけない。

だからこそ、あなたがそれをプレゼントしてあげるのだ。

 

 

といった具合だ。

極端かつ、恣意的な例を挙げてしまったが、伝えたいことは伝わっただろうか。

同じ金額をかけて贈り物をするのであれば、少しでも相手の人生に残るものを贈りたい。

品質が良く、使い心地がよく、物持ちが良い。

一生モノになるようなモノ。

自分の贈り物が、相手の一生モノになるとしたら。

自分の贈り物が、紛れもなく相手の人生の一部になるとしたら。

そんな素敵なことがあるだろうか。

だから僕は「高級」なものを、贈り続ける。

高級なものは予算に関わらず、手に入れることが出来る。

例えば、予算がどうしても千円しか捻出できなかったとしよう。

たとえ千円でも高級品は買うことが出来る。

身の回りを見渡してみよう。

1本千円の鉛筆。

1本千円のハンガー。

一袋千円のふりかけ。

一粒千円のチョコレート。

いろんな選択肢が浮かんでくる。

食べ物だと、それ自体は一生モノにはならないが、高級品を味わった記憶は一生モノになるだろう。

 

同じ金額でも最大の喜びを。

大好きな相手の人生に自分の足跡を残すこと。

「高価」なものには、金額にかかわらずその力があると僕は信じている。

自分の人生が、人の人生に少しでも刻まれること。

とある人が死ぬときに自分のことを思い出してくれること。

そんなに幸せなことがあるだろうか。

僕はどういった形であれ、そういった足跡を残していきたい。