ラーメン、つけ麺、僕、うんやっぱりつけ麺で。
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始めてつけ麺を食べたのはいつだろうか。
ずっと福岡で暮らしていた僕にとって、麺といえば豚骨ラーメンだった。
店に入るや、「ラーメン、カタで」
運ばれてきたラーメンを無心ですすり、数分もしないうちに「替え玉、カタで」
同じく数分もしないうちに平らげ、「ごちそうさまでした」と暖簾をくぐる。
店に入って出るまでその間、10分。
僕にとってはそれがスタンダードだった。
そんなある日、やたらと「つけ麺」というワードを耳にするようになる。
「ラーメン、つけ麺、僕イケメン」
そう彼の影響だ。
ただ、その当時僕は、そのネタに笑ってはいたものの、つけ麺とは一体なんなのか、
みたこともなければ食べたこともなかった。
それもそのはず。
福岡にはつけ麺なんてなかったから。
いや、ほんとはあったのかもしれないけどね?
けど、歩いても歩いても豚骨ラーメン。
食べようと思えば1杯290円で食べれたりする。
そんなところで暮らしていた僕にとって、つけ麺は無縁。
東京にはあるらしい、ということぐらいしかわからない未知の食べ物だった。
それから数年、僕は頻繁に東京に出向くことになる。
そう、就職活動だ。
就職活動で東京にいくと決まった時、僕は心に決めていた。
「よし、つけ麺を食べよう」
面接頑張ろう、よりも先にその感情が来てしまっていた。
今思うとアホだ。
面接数日前。
受ける企業の情報をあらかた調べ終えると、その企業の周辺の美味しいつけ麺屋を調べる僕。
明らかにそっちの時間の方が長い。
そうして始めて口にしたつけ麺は、渋谷の麺や武蔵だった。
初めてのつけ麺。
慣れ親しんだ細麺とはまるっきり違うコシのある太麺。
そしてまさかの冷たい麺。
そこに添えられる熱々のスープ。
麺を絡めて口に運ぶ。
美味い。
うん、美味い。
それからというもの、つけ麺にとりつかれた僕は、東京にいくたびにつけ麺を食べ続け、
就活を終えるまでに、たくさんのつけ麺屋を食べて回った。
面接の時間帯の都合で宿泊しなければならなかった時は、
昼も夜もつけ麺なんてこともざらだった。
完全に中毒者である。
どうしてこうなった、という感じである。
そこから、無事に東京の企業に就職した僕は、予想通り、つけ麺にまみれながら過ごしている。
週に4回ぐらいはつけ麺食べてる。
血液がつけ麺なんじゃないかとすら思う。
いや血管詰まるわ。死ぬわ。
福岡にいた頃のラーメンの頻度もさすがにここまではなかったのだが、
一体何が僕をここまで駆り立てるのだろうか。
ここでふと冷静になってみる。
なんでつけ麺が好きなのだろうか。
好きに理屈はないんだ、とはよく言うがなんだかんだで何かしらの理由はあるはず。
ということで自分なりにつけ麺の魅力を考えてみた。
①ちょうどいい待ち時間
つけ麺は基本的に、注文してから出てくるまで10分弱の時間を要する。
注文したら数分で出てくる博多ラーメンと比べるとずいぶん遅いなと初めは思っていた。
だがしかし、この待ち時間こそが、つけ麺の美味さをさらに引き立てているといっても過言ではない。
腹を空かせ、何にしようか悩み、注文し、そこから10分間焦らされる。
この焦らしの時間こそがつけ麺の美味さを引き立てる隠し味なのではなかろうか。
②ちょうどいい温度
熱々のつけ汁に、冷やして締めた麺。
それを絡めると見事にちょうどいい、勢いよく食べることのできる温度になる。
前述の焦らされた状態から、目の前に麺が置かれ、遠慮なくがっつくことが出来るのだ。
これが全て熱々だとどうだろう。
焦らされた、早く食べたい、でも熱くて食べれない、ああ鬱陶しい。
ということになる。必要以上に焦らされるのである。
焦らしも度を越すと鬱陶しいだけ。
ちょうどいいから心地よいのだ。
通常のラーメンなどは出てくるのが早い分、熱々で食べられないタイムも含めて、
ちょうどいい塩梅になっているのだと思う。
③ちょうどいい量
つけ麺は基本的に麺の量を選択することが出来る。
自分の空腹具合、そもそものキャパシティに合わせて適した量を選択することが出来るため、
どういった時でもちょうどいい量を食べることが出来る。
小腹が空いた時には並盛り。
がっつり食べたい時には中盛り。
今なら無限に食えるってテンションの時には大盛り。
みたいにね。
そして、いい具合の太麺だからこそ感じることができる、
口に運んで咀嚼した時の、ああ食べてる、という感覚。
これもまた心地よいものである。
口いっぱいに頬張る麺。これはなかなか細麺のラーメンで味わうことは難しい感覚だ。
と、感じたことを書いてみたが、まとめると
「ちょうどいい」
からつけ麺が好きなのだと思う。
ちょうどいいものは心地よい。
心地よいからこそ繰り返し摂取してしまうのだろう。
つけ麺に限らず何事も、ちょうどいいものを見つけることで、
心地よく生きていくことができる。
最高にちょうどいいホンダ、というCMがあったが、あのCMはそういうことだったんだなと、
まさかのつけ麺の分析をきっかけに気付いてしまった。
ああ、つけ麺偉大なり。
長々と書いているといい時間になってしまった。
ではそろそろ、ちょうどいい広さのベッドで、ちょうどいい暖かさの布団を被り、
ちょうどいい暗さの部屋で、心地よく眠ろうと思う。
人が惰眠を貪るのも、心地よいからなのだろう。
人間は心地よさには抗えない。
そうして僕は明日も心地よさを求めつけ麺を食べにゆく。
つけ麺からはもう逃れられない運命なのだ。