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「高価」と「高級」

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人に贈り物をする時、ひたすらに思惑を巡らせ、プレゼントを選定すると思う。

僕がそのチョイスの際に心がけていることが一つだけある。

それは、

「高価」ではなく「高級」なものを選ぶということ。

 

どういうことか簡単に例を挙げて説明してみようと思う。

 

 

さて、来週は昔から仲良くしている友人の誕生日。

自分の誕生日にもプレゼントをくれたし、もちろん僕からも贈りたいと思う。

僕の彼の間柄からして、予算は1万円ぐらいかな。

さて、何を買おうか。

うーん、これにしよう!

 

①1万円の財布をプレゼントした場合

僕「いつもありがとう、これ誕生日プレゼント!」

彼「おお!ありがとう!ちょうど財布欲しかったんだ!大事に使うよ!」

彼(普通の財布だな。せっかくプレゼントしてくれたし大事に使おう。)

翌年。

彼のカバンには僕がプレゼントしたものとは違う財布が。

「ごめんな、大事に使ってたんだけどちょっとくたびれちゃって。」

それはそうだろう。

財布というジャンルで1万円という額は決して一級品のクオリティが得られる額ではない。

その分、早く商品の寿命がくるというのはわかりきったことである。

僕も彼も、まあそんなものだという想いのもと、プレゼントを交換し続ける。

 

②1万円のボールペンをプレゼントした場合

僕「いつもありがとう、これ誕生日プレゼント!」

彼「おお!ありがとう!これボールペンか?すごく高級そうだな…大事に使うよ!」

彼(文具とか詳しくないけど、上等なものだということは伝わってくるな。とりあえず使ってみよう。)

翌年。

スーツを着た彼の胸元には、キラリと光る見覚えのあるボールペン。

その翌年も、そのまた翌年も。

どのジャンルの商品でも、高級品は得てして長持ちするものである。

超一級品ともなれば一生モノの買い物となることも多い。

そして、多くの人は自分が強く関心のある分野以外のモノに対して、

必要以上のお金をかけない。

だからこそ、あなたがそれをプレゼントしてあげるのだ。

 

 

といった具合だ。

極端かつ、恣意的な例を挙げてしまったが、伝えたいことは伝わっただろうか。

同じ金額をかけて贈り物をするのであれば、少しでも相手の人生に残るものを贈りたい。

品質が良く、使い心地がよく、物持ちが良い。

一生モノになるようなモノ。

自分の贈り物が、相手の一生モノになるとしたら。

自分の贈り物が、紛れもなく相手の人生の一部になるとしたら。

そんな素敵なことがあるだろうか。

だから僕は「高級」なものを、贈り続ける。

高級なものは予算に関わらず、手に入れることが出来る。

例えば、予算がどうしても千円しか捻出できなかったとしよう。

たとえ千円でも高級品は買うことが出来る。

身の回りを見渡してみよう。

1本千円の鉛筆。

1本千円のハンガー。

一袋千円のふりかけ。

一粒千円のチョコレート。

いろんな選択肢が浮かんでくる。

食べ物だと、それ自体は一生モノにはならないが、高級品を味わった記憶は一生モノになるだろう。

 

同じ金額でも最大の喜びを。

大好きな相手の人生に自分の足跡を残すこと。

「高価」なものには、金額にかかわらずその力があると僕は信じている。

自分の人生が、人の人生に少しでも刻まれること。

とある人が死ぬときに自分のことを思い出してくれること。

そんなに幸せなことがあるだろうか。

僕はどういった形であれ、そういった足跡を残していきたい。