文字では腹は膨れない

でも栄養にはなるのです

【スポンサーリンク】

当事者意識が無い、と言われる人に送りたいたった1つのアドバイス

【スポンサーリンク】

「お前は当事者意識が足りない」

「自分の仕事に対して当事者意識がなさすぎる」

 

社会人になると、よく耳にするのではないでしょうか。

しかし、

「ああ、俺って当事者意識が足りないんだ」

と気付いて、

「よし! 当事者意識をもっと強く持とう!」

と思ってもなかなか持てるものではありません。

 

同じ問題に直面していた身ですが、

ひとつ心がけるだけで、いわゆる「当事者意識を持つ」ことが

出来るようになってきたので、そのお話ができればと思います。

 そもそも当事者意識ってなんなのでしょうか。

辞書的な意味を調べて見ると、

当事者:そのことに直接関係のある人

とあります。

つまり当事者意識とは、

「自分はそのことに直接関係があるのだという意識」

つまり、

「目の前のことを自分のことだと捉えることが出来る」

ということになります。

 

これはなかなか難しいものです。

社会人になりたてのタイミングでよく指摘されることなのですが、

社会人になりたてだからこそ、当事者意識を持ちにくい、のだと僕は思っています。

 

上司から頼まれた雑用。

何に使うかもよく分からないが、出せと言われた数値。

直接業務には関係ない、新卒ならではの業務。

 

こんなものがたくさん降ってくる中で、目の前の仕事を全て自分のこととして捉えられる人の方が稀だと思います。

そりゃあ、無理ですよね。

「これ、コピーとってきて」

というこの仕事に対して、当事者意識を持つことが出来る人はどのくらいいるのでしょうか。

持てなくても当然です。

 

人は誰しも、自分がやりたいこと、自分がやり始めたことに対しては当事者意識を持つことができます。

なので、そもそも当事者意識を持つことができない、というわけではないのです。

尿意がヤバくてどうしてもトイレに行きたい時。

本気になってトイレを探しますよね。

でも、目の前で誰かが尿意に襲われトイレに行きたそうにしている時。

あなたは本気でトイレを探しますか?

僕が何も言わずとも、そこで本気になれるあなたはきっと、

当事者意識を持って仕事が出来る人だと思います。

(例えが不適切な気もしますが、なんとなく伝わる気がするのでこのまま行きます)

 

ただ、多くの人は、目の前に尿意に襲われている人がいても、

さも自分のことのように本気になってトイレを探そうとはしないと思います。

 

このように、当事者意識を持つということは難しいことです。

世の中の全ての事象に対して当事者意識を持つ必要なんてないので、

やりすぎは禁物ですが、僕は一つの意識を持つことで、

だいぶ当事者意識を持つことが出来るようになりました。

 

その一つのことなのですが、すごく単純で、

「目の前のことを信じない」

ということだけです。

正確に言うと、

「目の前で起きていることを必ず一度疑ってみる」

ということです。

 

どういうことなのかをトイレの例をとって考えてみます。

目の前に尿意に襲われトイレを必要としている人がいます。

ここで、目の前の彼の要望を否定してます。

「本当に今こいつにトイレが必要なのだろうか」

「トイレなんてなくても大丈夫なんじゃないか」

「仮にトイレがなかったらどうなるだろうか」

「……漏らすな、間違いなく」

「漏らしたら、俺にも被害がくるかもしれないな……」

「それは流石にまずい、トイレ探そう……」

ってこんな感じで、他人のことが自分のことになりましたね。

はい、例えが悪かったです。すみません。

 

コピーの話でやり直してみましょう。

「あの上司からこの書類のコピーを頼まれたけど、本当に必要なのか?」

「そもそも何に使うためのコピーなんだろう?」

「〇〇に対して使うならコピーじゃなくてもっといい方法があるんじゃないか?」

「仕方ない……上司に提案してみるか……」

って感じですね。

たかがコピーでも、少し疑ってみるだけで、

その仕事に自分の意思が入り込む余地が生まれます。

 

当事者意識を持てない原因は、その物事について考えようとしないからです。

僕もずっとそうでした。

上司、先輩、仕事が出来る人、彼らが言うことは正しいと無意識に決めつけ、

彼らが言ったことをそのままやっていたのです。

「〇〇やっておいて」

「はい、やりました」

仕事なんてこれで十分だと言う人もいるかもしれませんが、

これならぶっちゃけ機械でも出来ますし、自分で考えない仕事は面白くないですよね。

 

そこで、物事に対して、考えるきっかけとして、先ほどの、

「目の前のことを信じない」

があるわけです。

どんなに偉い人、どんなに仕事が出来る人が言ったことでも、

一度は自分の中で疑って否定してみる。

結果として上司が正しくてもいいんです。

それがきっかけでその物事について考えることが出来れば、

その仕事に対して当事者意識、というか自分の意思を持って望むことが出来ます。

 

人間の習慣はそう簡単に変わるわけではありません。

なので、本当に単純な一つのルールを自分に課すことで、

仕組み的に変えようと僕はやってみました。

 

この仕組みが万人に効くものなのかはよく分からないですが、

当事者意識がない、と言われた経験がある人、

是非試してみてください。

 

 

 

 

へー、なるほど。

ちょっとやってみよう。

と思ったみなさん。

この記事のことも、まずは疑ってみてくださいね。

自分の中で解釈して、やる価値があると思ったらやってみてください。

 

夜中の戯言でした。